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村長室から

移住者紹介

南相木村で挑戦の人生を楽しむ


高橋洋一さん
東京都出身。花卉農家としてヒメヒマワリを栽培する。
南相木村を知ったきっかけはインターネットで見つけた花卉農家のアルバイト募集。東京でサラリーマンをしていたが、「寒空に裸で一人放り出されても生きてゆける。そんな強さを手に入れたい」と移住と就農を決意。

地元農家の下で経験を積み、人生の第二幕として農業経営の道をスタートさせた。「たくさんの方々に支えられながら、少しずつ形になってきた」とのことで、段階的に農地を拡大し、他の種類の花の栽培にも挑戦している。目の前にあるこの瞬間を有意義に選択し、自分の心に正直でありたい。
これからも挑戦の人生を楽しみながら歩んでいきたい」と高橋さんは熱い眼差しで抱負を語ってくれました。

新規就農を支援する充実の体制

高橋さんに南相木村で就農して良かったことは?と聞くと「土地であったり、機械であったり、0から農業を始めるのにはたくさんお金がかかる。この村は、役場でトラクターが借りられたり、村独自の就農に対するサポートが充実している。新規就農のハードルが低いところが助かった」と笑顔で答えてくれた。

 

高原野菜に次いで花の栽培が盛ん

ヒメヒマワリはその名前と黄色い見た目から小さなヒマワリと思われがちだが、キク科の花。南相木村は高原野菜に次いで花卉農家が多い。ヒメヒマワリの出荷のピークは7月から9月にかけて。この時期は高橋さんの農場も大変忙しくなり、村内外の方にアルバイトをお願いし収穫、出荷作業までを行う。ヒメヒマワリが一斉に開花すると、畑一に広がる黄色い花の絨毯と、山の緑、透き通る青空がみごとに調和し美しい特別な景色を見せてくれる。

犬と楽しむシングルライフ

半田典子さん

都会で生まれ育ち、ずっと憧れていた別荘暮らし。
この歳であっても決断した自分を褒めてあげたいです。

とにかく田舎暮らしがしたい。20歳の頃からの憧れでした。
東京の渋谷で生まれ育ちました。1970年代の学生紛争が慌ただしい時代で、原宿の石畳のなだらかな坂の途中にある生家の横を、戦車が大きな音を立てて通ったこともあります。

20代に小田原、茅ヶ崎へと移り住み、1歳で南相木村の隣村に移住しました。当時はーターンの助成制度もなかったので最初は大変でしたが、周りがいい人たちばかりで本当によかったです。
それから5年が経ち、縁あってこの別荘を持つことになりました。別荘は主にアトリエとして使っています。ここに来ると世界が違って見え、想像力が湧いてくるんです。美しい山の緑、沢の音や鳥のさえずりが聞こえ、日が沈み暗くなって「ああ、夜か」と思う。こういう感性を大切に生きていたい思います。自分一人の、こんなに贅沢な空間を持てることに感謝しながら。

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